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2014年9月25日(木)特集

タテに切っていく自分らしいプレイで2年目はもっと成長した姿を見せたい

伊集 南選手(デンソーアイリス)

伊集 南

今回のゲストは新人王を獲得したデンソーの伊集南選手です。アグレッシブなスタイルで流れを変える役割で投入されたルーキーシーズン。持ち前のスピードと突破力、意表を突いたトリッキーなスタイルで、準優勝へと躍進したデンソーの起爆剤となりました。走るスタイルが評価されて2年目の今年は日本代表候補に選出。背中のケガによって、残念ながら世界選手権のメンバー選出にはなりませんでしたが、強化合宿で得た収獲はとても多かったと言います。2年目の飛躍を誓う伊集選手に、はじめてのシーズンのことから、頭角を現した大学時代のことまで話をうかがいました。自分の考えを思慮深く、前向きに話す2年目の伊集選手の素顔を紹介します。

——1年目にファイナルに進出し、新人王を獲得。ルーキーとして、どんな手応えがあったシーズンでしたか?

1年目でファイナルに出て新人王をもらえたことは光栄なんですが、昨シーズンの感想としては、悔しかったことや、シーズンを通してまだまだだなと思うことが多かったです。周りの方には「新人王おめでとう」と言ってもらえたんですが、自分ではまだまだだと思ってます。2年目の今年はもっとレベルアップしなければなりません。昨シーズンは苦い経験しかなかったです。

——どんなところが、苦い経験だったのですか。

あまり振り返りたくないのですが、してはいけないミスを大事な場面でしてしまったことです。ファイナルの2戦目は自分がパスミスをして、最後にレイアップに持って行かれて負けました。そこで勝てば1勝1敗だったのに。ファイナルでは、一つのミスや、一つ一つのプレイの精度が勝敗に左右することを痛感しました。自分は流れを変えるために使われていたのに、大事な場面でミスをしてしまった。大事な場面でいかに自分のプレイが発揮できるかは経験の差もあると思うのですが、言い訳はしたくないので2年目はもっと頑張りたいです。

——反省ばかりが出てきますが、思い切りのいいトリッキーなプレイは流れを変えて良かったと思いますよ。

よく、「トリッキーだね」「プレイスタイルが変わってるね」とは言われるのですが、自分ではあまりわからないんですよね(笑)。自分の持ち味はスピードなので、タテに切ってシュートまで持って行ければいいのですが、行けない時にパスミスをしてしまうことが多かったです。だから、切っていくのが怖い時もあるんです。ミスになったらどうしようとか…。

——ドライブしている時に怖がっているようには見えないのですが。

ほんとですか(笑)。そう思われているならうれしいです。結構、考えやすいタイプなんですよ。チームメイトや先輩からは「思いきりやっていいよ」と言われているので、思い切りやることが自分らしいと思って、やるようにします。2年目はマイナスの時間を減らして、自分のいいところを多く出せるようにしていきたいです。

——ポイントガードとシューティングガードの両方で起用されますが、どちらのポジションがやりやすいというのはあるのですか?

この身長なので、WJBLに入ってからはポイントガードとしてやらないと、と小嶋さん(ヘッドコーチ)には言われています。でも得点が欲しい時には点を取らないといけないなので、1番と2番を臨機応変に、1.5番でこれからはやっていきます。

——筑波大学時代に伸びて頭角を現しました。大学時代に得たもの、学んだことは何でしょうか。

今の私がここにいるのは、沖縄から出てきて筑波大に入れたことが大きかったです。高校(糸満)は自分の可能性を広げてくれて、自由にさせてくれたんですが、筑波では基礎を学んで、当たり前のことを徹底する土台の部分を教えてもらいました。下級生の頃に基礎を学び、3、4年では自分のプレイを入れつつ良くなったと思います。大学時代は自分の甘い部分をなくすというか、地味なトレーニングをして、それが今につながっているという実感があります。結局、1年生の時の1回しか優勝ができなかったけれど、土台を作ってもらったことに感謝しています。

——7月末の国際親善試合の直前に背中を痛めてしまい、今年度の日本代表を断念することになってしまったのは残念でした。日本代表についてはどんな思いがありますか。

検査の結果、骨や筋肉は異常がなかったのですが、安静して様子を見なければならず、それから練習はできなくなりました。代表から落ちたのも悔しいですけど、親善試合は東北だったので、東北の皆さんの前でバスケットがしたかったので、それがすごく残念でした。

——初の日本代表で学べたところは。

刺激を受けまくりました。練習もトレーニングも生活もすべてが刺激でした。同じポジションの大神さんと久手堅さんからは学ぶことがとてもありました。特に、大神さんはトレーニングのパートナーだったので、見て学ぶことが多かったです。自分の当たりの弱さを実感したし、トレーニングの重要性や日々の過ごし方、取り組む姿勢については見習うことばかりで、考えさせられました。でも学ぶだけでなく、同じポジションなので競争心を持たないといけないので、自分にできることは日々全力で取り組んできました。大神さんや久手堅さんをものすごく観察したし、わからないことがあったら自分から聞きに行きました。

——日本代表については、「次こそは!」の思いですか。

はい。すごく刺激を受けた場所だったので、世界選手権に出て自分を高めたかったし、チームに貢献したかった思いが強かったので悔いは残ります。でも、代表ではポイントガードを経験できたことは収獲です。一日一日が充実していて、だからこそ、最後までやりたい思いがあました。今回はとても悔しいですが、今シーズンに自分のプレイを評価してもらえるように頑張ります。

——最後に今シーズンの目標を聞かせてください。

2年目のシーズンはとても大事だと思っています。1年目はノーマークだったのでプレイできたこともありますが、2年目はアジャストされてクセを見抜いてくると思うので、それでも自分の得意なスピードを生かしてやり抜きたいです。2年目に相手にアジャストされてもできるのが本当にすごいプレイヤーだと思うし、もう新人ではないので、自分から声をかけていって信頼できる選手になりたいです。最終的な目標は日本一なので、目標に向かって、1年目より成長した姿を見せたいです。


質問コーナー(ホームページに寄せられた質問にお答えします!)


●コートネーム「ユイ」の由来を教えてください。

沖縄出身なので、沖縄からの言葉から決めようということになって、「ゆいまーる」から取りました。「ゆいまーる」とは沖縄の言葉で、「助け合い」や「結びつき」という意味があるのですが、仲間や勝利を結びつけるの「結」です。

●日本代表では同郷・沖縄出身の久手堅笑美選手と一緒にプレイしましたが、沖縄にいた時から知り合いだったのでしょうか?

実は、久手堅さんとは今までコンタクトがなくて、間接的な知り合いから話しを聞いていただけだったんです。同じ沖縄出身として、WJBLに入った時からずっと応援していました。いつかお話ししたいと思っていたので、代表で一緒になって話ができてうれしいです。大神さんとは違うタイプのガードで、久手堅さんからも勉強させてもらっています。
(※久手堅笑美選手は北中城高、伊集南選手は糸満高出身)

●小学校の頃は野球でピッチャーをやっていたと記事を読みました。バスケに転向した理由は?

小学校の時は野球のピッチャーをやっていて、バスケを始めたのは中学からです。テレビでたまたまNBAを見て魅了されてしまったんです。その時から「バスケット=魅せる競技」というイメージでプレイしています。

●プレイを見ていると、運動神経がよくて、楽しそうに見えます。このようなアグレッシブなスタイルは子供の頃からなのでしょうか。

そうですね。子供の頃から運動神経はよかったです。これ、みんなに言うと驚かれるんですけど、自分の家の半分が遊び場になってるんです。父が設計したんですけど、そこで毎日のように遊んでいたからか、活発な子でしたね。楽しそうに見えるのは、沖縄でバスケをしてきたからかもしれません。沖縄の人はバスケが好きなので、県大会とかは小さい子からおじちゃん、おばあちゃんまでが応援に来てくれて体育館がいっぱいになるんですよ。私はあの雰囲気が大好きなんですね。盛り上がる雰囲気の中でプレイしてきた環境が身についているので、見ている人に楽しんでほしいなと思ってプレイしています。

●ユニバシアードに2回出場していますが、ユニバの思い出はありますか。

今思えば、ユニバとナショナルチームは全然違いました。ユニバの時は甘かったなと思います。もう少しユニバの時に意識を高く持ってやればよかったと思います。自分はもう出ることはできないですけど、やっぱり大学界を盛り上げていきたいし、勝たないと見てもらえないですから、大学生はもっと頑張らなきゃいけないと思います。その中で自分が思うのは、ユニバチームからナショナルチームに選ばれたことはうれしかったです。大学に行ってからでも通用するんだよと、そういう部分でも自分は頑張ってきたので、大学生の皆さんも頑張ってほしいです。


インタビュー&構成/小永吉陽子