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2011年8月12日(金)特集

「自分がやらなきゃならない!」責任感から成長したトリッキーガード

久手堅 笑美選手(トヨタ自動車 アンテロープス)

久手堅 笑美

今回のゲストはトヨタ自動車の司令塔、久手堅笑美選手。スピードあるゲームメイクとトリッキーな1対1、果敢に狙うスティールで魅了するポイントガードです。3年目の2009-2010シーズンにスタメンに抜擢。いまや、トヨタになくてはならない存在へと成長し、さらに今年は日本代表にも選出され、ますます飛躍が期待されています。伸び盛りの久手堅選手に、昨シーズンのファイナルのこと、トヨタでの成長の源となったもの、日本代表としてアジア選手権の意気込みなど語ってもらいました。

——昨シーズンのファイナル(2011年3月、対JX)は震災の影響で一試合をしただけで終わりました。そのことについては、どう受け止めていますか?

ファイナルができなかったのは残念ですけど、理由は震災による影響ということなので、しかたないことだと思っています。私自身も、チームも(ファイナル第2戦の会場の)郡山で被災して本当に怖かったですから、そこから気持ちをすぐに切り替えて戦うのは難しかったと思います。突然シーズンが終わって何日間はモヤモヤした気持ちが残っていましたが、今ではもう気持ちを切り替えています。私たちがスポーツで日本を元気にできるときが来ると思うので、今シーズンに賭けようと思っています。

——ファイナル1戦目は完敗でしたが、2戦目については、どのように戦おうと思っていたのですか? 特に、昨年のファイナルは3連敗だったので、どのような心境で2戦目に向かっていたのか知りたいです。

去年(2009-2010シーズン)は1戦目に1点差で負けてしまい、そこからどうしたらいいのかわからなくなってしまいましたが、今年は2戦目からはもっと冷静に対応できるんじゃないかと思っていました。それは私だけじゃなくて、チームのみんなもそう思っていたし、チョンさん(丁ヘッドコーチ)もそう言っていました。去年とは違うところを見せたかったです。

——ファイナル経験1年目と、2年目では何が変化したのでしょうか。

自分としては、勝てなかった悔しい経験から、プレイもそうですし、精神面でも色々なものを得たと思っています。やっぱり去年(2009-2010シーズン)はスタートになった1年目で気持ちにも余裕がなかったし、チームを引っ張ることができませんでした。昨シーズン(2010-2011シーズン)は自分より下のマヤ(川原麻耶)が試合に出ていたこともあり、自分がどうにかしなきゃというのがあって、少しは引っ張れたと思います。私自身の成長というより、下の子たちから刺激を受けて教えてもらえた感じがします。

——話は変わりまして、これまでの経歴を聞きたいのですが。久手堅選手は北中城高を経て拓殖大に進学。高校、大学時代は1対1が強く、知る人ぞ知る存在でした。学生時代からトヨタへ入団まで、ご自身の成長を振り返ってもらえますか。

実は、あまり知られてないんですが、私は高校1年までは豊見城南(とみしろみなみ)高校にいて、2年から北中城(きたなかぐすく)高校に転校したんです。中学のジュニアオールスターで仲良くなった選手が中部(※)にたくさんいて、ほとんどが北中城でプレイしていたので、どうしても一緒にプレイしたいという気持ちが捨てきれずに転校しました。転校すると半年間は試合に出られないので、試合に出たのは2年生のウインターカップから。それでも北中城でプレイできたことは後悔していませんし、北中城でやってきた攻め気のバスケットが私の原点です。(※豊見城南は県の南部、北中城は中部に位置する)

高校3年の時だけガードをやっていて、大学ではフォワードで攻めるタイプのプレイヤーでした。拓殖大に入ったときは1部に上がったばかりで、結局インカレでもベスト4に入れませんでした。もっと上でやってみたいという思いが出てきましたが、自分は無名だったので、どこも声をかけてくれないだろうとあきらめていたところ、トヨタが声をかけてくれまして。できるなら上でやりたいと思い、トヨタにお世話になることにしました。声がかかったときはうれしかったですね。

——トヨタはシステムの連携を大切にするバスケット。拓殖大、北中城は1対1を主体に攻めるバスケット。“真逆”のバスケットですが、そのあたり、トヨタでは苦労したのではないですか。

ほんと、そうですよね。バスケットが難しいのは覚悟で、一からやり直すつもりでトヨタに入ったんですが、そうですねぇ……苦労しました(苦笑)

——トヨタでは再びポイントガードに転向するわけですが、コンバートでいちばん大変だったのはどんな点ですか?

ポイントガードになっていちばん大変だったのはパスでした。特に、トヨタのバスケットは動きに対してパスで合わせるタイミングや位置とか、そういうのが細かいんです。いちばん動揺したのは3年目に「スタートのポイントガードでいくぞ」と言われた時ですね。それまでポイントガードだったミキ(三浦歩惟)が引退するなんて思ってなかったので、まだ覚悟ができてなくて…。毎日、練習で泣きましたね。チョンさんは甘やかす人ではないので、私のためを思っていろいろと鍛えてくれました。自分が「やらなきゃいけない」という状況になったのが大きかったと思います。

——今年は日本代表候補に選ばれて2年目。昨年はケガ(右肩の脱臼)のために途中でリタイアしてしまいましたが、今年はどんな意気込みで合宿に臨んでいましたか?

もう、「(候補に)選ばれてうれしい」というのは終わって、メンバーに残りたいという思いが強かったです。去年はケガでリタイアしてしまったので、それだけはイヤだと思ってました。選考合宿を最後までやりきって、それでも落ちたら納得できますが、去年と同じように途中でリタイアしたくないというのがありました。今年はとにかくチャレンジしようという思いが強いです。

——ヨーロッパ、オーストラリア遠征で見えた課題と、今後の自分のテーマは何ですか?

海外遠征で試したかったのは自分の持ち味である1対1とスピードだったんですけど、特にヨーロッパ遠征は全然ダメでした。相手は高さがあるので、スピードで抜けてもそのあとのヘルプが速いので、シュートに持っていくことが難しかったです。日本代表のプレイに慣れずに気を遣うこともあったので、課題だらけです。代表では誰でも得点を取れないといけないと思うので、自分としては、周りに気を遣うことなく、積極的に行くことを目指しています。あと、プレッシャーディフェンスだけは負けないつもりでやります。

——正式にアジア選手権の代表メンバーに選ばれましたが、抱負をお願いします。

とにかく、オリンピックに出るためにチームに貢献したいです。去年は初めて代表候補に選ばれて動揺だけで終わってしまったので、今年は何が何でも挑戦する姿勢を見せて頑張りたいです。


質問コーナー(ホームページに寄せられた質問にお答えします!)
質問コーナー(ホームページに寄せられた質問にお答えします!)


●日本代表ではガードの大神雄子選手、吉田亜沙美選手がライバルになるかと思いますが、自分がアピールできるところはどこですか?

2人と同じプレイをやってもしょうがないと思うので、自分のいいところを出してアピールしたいです。自分としては、スピードあるプレイと確実な1対1ができるようにしたいです。もちろん2人とも、スピードも1対1の力もあるんですが、自分も負けずにやりたいのと、ディフェンスで頑張りたいです。

●休みの日は何をしていますか? 出没スポットはどこですか?

休みの日は部屋でパソコンを開いて、沖縄の歌を流しながらボーッとするか、部屋の掃除をするか、それくらいです。沖縄の曲をきいているとホッとするんです。「島人ぬ宝(BIGIN)」が大好きです。出没スポットは体育館の近くの名古屋駅から栄、新栄らへんですね。ジャージでウロウロしているかもしれません(笑)

●オフに沖縄に帰ると何をして過ごしているのですか?

私は家族が大好きなんです。その中でもお母さんが大好きなので、とりあえず、お母さんと過ごせればいいかな(笑)。沖縄には両親、姉、兄が住んでいるんですが、私が家に帰ったときはお母さんを優先したスケジュールで過ごしています。あとは、恩師(北中城高校時代のコーチ、安里辰雄先生、現糸満高)のところにバスケをしに行きますね。家の近所にある「糸満お魚センター」あたりに出没します。南部あたりをジャージでウロウロしているので、すぐにわかると思います(笑)

●WJBLで仲のいい選手は誰ですか?

あまり顔が広くないので…。日本代表に入ったのをきっかけに、WJBLの選手と仲良くなりました。同期の選手はいないのですが、一つ下の諏訪裕美(JX)、鈴木あゆみ選手(富士通)と仲良くなりました。長い時間、一緒に合宿をしたので、みんなの素顔を知ることができました。

●自分の性格をどのように分析しますか?

一見、人見知りなんですけど、2〜3日経てば誰とでも話します。意気投合すれば、自分を止められないくらい話しまくりますよ(笑)


インタビュー&構成/小永吉陽子