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2005年9月1日(木)特集

吹っ切れなかった自分を捨てデンソーで新しい自分になる!

渡邉 温子選手(デンソーアイリス)

渡邉 温子

移籍プレイヤー第3弾はシャンソン化粧品からデンソーに移籍した渡邉温子選手。渡邉選手と言えばバスケット界の「優勝の申し子」! 昭和ミニ〜千種台中〜名古屋短付高(現桜花学園)〜愛知学泉大と名門の道を歩み、エースとして優勝の原動力に。シュートがうまく状況判断に優れているので、どのチームでも即戦力として活躍しました。シャンソン入社後も主力としてプレイしましたが、膝の故障があり万全には程遠い状態に。そんなスッキリしない状態だった自分を断ち切るために、心機一転、デンソーに移籍してもう一花咲かす決意です。一言一言、噛みしめながら現在の心境を語ってくれました。

——サマーキャンプでは試合に出ていなかったけど、どこかケガでもあるのですか?

ケガというより、今まで悪かったところを治していたというか、体作りの段階でまだ試合に出られるような状態ではありませんでした。今は練習いっぱいやっています。

——そうですか。では、シャンソンからデンソーに移籍した理由から聞かせてもらえますか。

昨シーズン終わった時はバスケットを辞めるつもりでいました。もう次の道に進んでもいいかなーと…。今までシャンソンで4年間やってきて、やっと優勝できたというのもあるかもしれないですね。だけど心に引っかかるものがあって…。

——心に引っかかっていたものとは?

日韓戦が終わってオフの間もやっぱりバスケットのこと考えちゃったりしていて…。それとシャンソンにいた4年間、何かスッキリしないというのがあって…。だからスッキリして終わりたいというか、そういう思いが出てきました。あとは、木村(功)先生がWJBLのコーチになったので、もう一度、先生のもとでやりたいと思ったのもあります。試合会場では、違うチームなのに木村先生の声が聞こえると、そっちに耳を傾けてしまうというのがありましたね。

——移籍をするなら木村先生のいるデンソーしかないと思っていたわけですか? シャンソンで続けることは考えなかったのですか?

そうですね。木村先生のもとでやりたいと思いました。シャンソンでは気持ち的に続けられなかったですね。シャンソンでやって引退するのが一番だと思うんですけど、それだと自分の中ではスッキリ辞められないというのがあって、木村先生のところでやり直したいと…。期限ギリギリに移籍リストに載せたんですけど、その時はどこのチームというのは公言してなくて、木村先生が声をかけてくれたら行きたいし、声をかけてくれなかったらあきらめようと思っていました。そうしたら、木村先生が声をかけてくれました。

——話は変わります。もう時間が経ったので聞きますが、渡邉選手はオリンピック予選前に、代表落選後に再招集がかかって合宿に参加しました。そして、その合宿で膝の靱帯を断裂してしまいました。その時のこと話してもらえますか。

はい。今はもう話せます。あの時は…あとから代表に選ばれたのでビックリしたのと、今さら代表に参加するのはどうなんだろうと、すごく悩みました。いろいろな人に相談して「お前は何のためにシャンソンに入ったんだ。トップでやりたいからじゃないか」と言ってくれる人もいて、やっぱり自分はシャンソンで優勝したいし、日本代表に入るのも夢だったので、もう一度やってみようと思いました。オリンピックにも出たいし、年齢的にこれが最後のチャンスかなと思って。だけど気負いすぎたというか…。「やらなきゃいけない」という気持ちがあったのかな…ケガをしてしまいました。

——最終的に日本代表に残れなかったことにショックはありましたか?

ショックは大きかったです…。膝を切った時は精神的にもどうしていいか分からなくて…。でもその時からずっとエース(大山妙子、元JOMO)さんが励ましてくれました。エースさんは予選の前も「温子のために絶対にアテネに行くから!」と言ってくれて、そういう人がいるのだから私も頑張らないと…と思えました。

——一世界ジュニアの試合で一度目の膝の靱帯断裂があって、今回は二度目。そこからどうやって立ち直って、ケガを克服してきたのですか?

二回目(の断裂)なのでもう辞めようと思いましたね。一度リハビリの辛さを味わっているから、同じことをもう一度耐えられないと思って…。でもいろいろな人から励まされたり、復活した選手の話を聞いたりして、もう一回リハビリを頑張りました。前に切った時も復帰まで7、8か月かかって、今回も同じくらいかかりました。

——完全な時の自分のプレイが100だとしたら、今はどこまで戻っているのですか?

自分では半分以下だと思ってます。だから、こんな自分を変えたいと思ったのもあったし、膝のせいにはしたくないので…。

——様々な辛い思いを吹っ切って、新しい姿を見せてほしいです。今シーズンの目標を聞かせてください。

木村先生からは「自由にやれ」と言われてます。自由にやるといってもまだ戸惑いはあるんですけど、これからだと思っています。デンソーは今伸びているチームだと思うのでベスト4が目標。自分は完全な状態に戻して、チームに貢献して、自分らしく思い切りやりたいです。

質問コーナー(ホームページに寄せられた質問にお答えします!)

●今までで一番印象に残っている優勝は何ですか。また、これまでの指導者はどんな方たちでしたか?

やっぱり昨シーズン、シャンソンで優勝したこと。入社して3年間負けて、チームにとっても「どうして勝てないんだろう」と苦しかったので、自分が出てなくてもすごくうれしかった。試合が終わる5分前くらいから泣いていて、みんなに「フライング」と言われました(笑)。あとは大学4年の時の優勝。勝ち続ける苦しさというかプレッシャーがあったので…。

指導者には本当に恵まれていて、昭和ミニバスの服部幸男先生、千種台中の杉浦祐司先生、名短高の井上眞一先生、愛知学泉大の木村功先生と、皆さん、それぞれがすごくて尊敬しています。自分にとって影響が大きかったのは大学で、プレイも精神面も鍛えられました。あの4年間がなければ、シャンソンも日本代表もない。私は指導者にもチームメイトにも恵まれて、その中に私がいたというか、運が良かったんです。

●「勝ち続けなくてはならない環境」でやっている精神状態とは、どういうものなのですか?

うーん…。負けることは考えてないというか、絶対に勝てると思っているし、それだけのことはやって臨んでるので。「負けちゃいけないんだ」と最初に思ったのは中3かな。先生がすごい人でメンバーもそろっていて、中1の頃から優勝、優勝と言われて。その頃からそういう思いが芽生えたと思います。プレッシャーはありますけど、勝った時の喜びが大きくて、そのためだったら辛い練習も乗り越えられるというか…。たった1日のためなんですけどね。もう一回優勝を味わいたいという気持ちが出てくるんですよね。

●好みの男性のタイプは?

昔はいっぱいあったんですけど、今は自分に合う人がいいかなと…。しゃべることとか、やることとか、向こうのペースにも自分のペースにも合う人。タレントでいうと…濃い系が好きなんです。平井堅とか(笑)

●自分の性格をどう思いますか?

マイペースというか…あんまり人のことが気にならないというか…。人が何やっていてもいいんじゃないって思う(笑)。でも自分のこととなると考え込むほう。そういう姿はあまり見せたくはないですけど…。人がワイワイしてるところにいるのが好きですね。自分からワイワイはしないけど、うしろからついていく(笑)

●Wリーグで仲のいい人は誰ですか?

三木(聖美、シャンソン)ですね。あとは船引まゆみと矢野良子(富士通)。本当は三木と一緒に引退したかったというのがありますね。ケガした時も三木に声をかけてもらったし、三木とやるとすごいやりやすいので、離れているとさみしいです。今度はライバルですけど、やる時はやって、終わったら仲良くですね(笑)

構成/小永吉陽子