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2014年1月27日(月)特集

6年ぶりの復帰に寄せてエースが誓うチームの上昇と自身の飽くなき向上心

森本 由樹選手(羽田ヴィッキーズ)

森本 由樹

今回のゲストは6年ぶりにWリーグに復帰した羽田ヴィッキーズの森本由樹選手です。富岡高(現・金沢総合高)で活躍し、2006年には日本代表として東アジア競技大会に出場。シャンソン化粧品に5シーズン在籍したのち、アメリカに2年間留学し、語学とバスケットボールの両方にチャレンジ。帰国後は実業団のイカイでプレイし、昨年までは山梨学院大でアシスタントコーチを務めていました。高校時代の恩師である星澤純一ヘッドコーチの就任に伴い、29歳になる今季、プレイヤーに復帰。快活な性格と社会経験の豊富さでリーダーシップと、持ち前の身体能力の高さから得点力を期待されています。一般社団法人のクラブチームとしてスタートを切った羽田のエース・森本由樹選手に、6シーズンぶりにWリーグに復帰した理由と現況、今後の目標を聞きました。

——6年ぶりにWリーグに復帰。プレイヤーとして復帰した理由を聞かせてもらえますか。

今でも忘れないのですが、昨年、山梨学院大の試合があった日曜の朝の7時に星澤先生(純一、ヘッドコーチ)から電話がかかってきたんです。星澤先生とずっと連絡を取ってなかったし、朝の7時に電話があったので、一瞬、先生に何かあったのかな…と思ったら、「羽田でコーチをやることになりそうだから、ライヤ(森本のコートネーム)とまた一緒にやりたい」と言ってくれまして。私、その場で迷わず「やらせてください!」と言っていました。その時は具体的な話は何も聞いてなかったのに、すぐに返事しちゃったんですよ(笑)

——Wリーグの一線から退いたあとも、選手としてずっとやりたい気持ちはあったのですか?

正直、プレイヤーとしてやりたい気持ちはありましたね。アメリカ留学後も移籍を希望していました。でもいろんな事情や年齢的なものがあり、何より、トップレベルから遠ざかっていたことで、相談した方には「現役復帰は難しいんしゃいか。これからは教える側の勉強をしたほうがいい」と言われたこともありました。でも、やっぱり学生の一生懸命さや、青春というか、打ち込んでいる姿を見たら、プレイヤーとしての希望を捨てきれない気持ちがずっとありました。だから、この話をもらったときは本当にうれしかったんです。

——復帰が決まってからは、どのようなトレーニングをして、プレイのレベルやコンディションを取り戻していったのですか?

山梨学院大でコーチをしながらも仕事をしていたので、学生と一緒に朝練と放課後の2部練習をこなし、個人的にウエイトトレーニングをやったりしていました。でも、身体は動けてはいるけれど、自分が到達したいレベルには全然届きませんでした。羽田に入っても、最初のほうはルーズボールひとつ追うにも反応が遅かったです。今までは目で見て気づいた時に身体が反応していたんですが、あっ!という一瞬の間があって、動くのが一歩遅れてしまうんです。あとは膝が曲がらない、一歩が出せないという反応の遅さがありました。

——それらは、チーム練習を積んでいって解消されてきたのですか?

羽田に入ってからはチーム練習の他に、チームのトレーナーさんに補強のやり方を教えてもらったり、知人の紹介でストレングストレーニングに通ったりして、身体作りに取り組んできました。この年になってようやくわかったのが、心や身体と対話することの大切さ。自分自身の身体はトレーニングしだいで鍛え上げることはできるんですよね。前よりも自分の身体に対してじっくりと向き合うようになり、どんな体作りをしたらパフォーマンスが上がるのか、考えるようになりました。

——星澤ヘッドコーチが「森本はバスケットボールに飢えていたから再生させてあげたい」と言ってましたが、そんな状況だったのですか?

はい(苦笑)。飢えてましたね。今でももっともっと、自分らしさをコートで表現したいと思っています。

——自分らしさとは、どんなプレイなんでしょうか。

1対1が得意なので、とにかくゴールに向かっていきたいです。高校の時は「ライヤにボールを集めろ」と言われて、私ばっかり…と思ったこともあったんですけど、それくらい今は「私にボールをちょうだい!」という気持ちでバスケがやりたいんですね。ただ私もこのチームで1年目なので、まずはチームに馴染むことが優先で、その葛藤の中でやっています。

——羽田は選手のキャリアも年齢も若いチームですが、上位チームと戦っていくには、今後、何が必要だと思いますか?

星澤先生が第一に言っているのは、ディフェンスをよく見て判断して動くということ。まだこの判断ができていないので、結果が出ていません。今は上位チームと実力差があっても、負けたら悔しいという気持ちを忘れたくないですね。若い選手たちに伝えたいのは「やっぱり1部(一昨シーズンまでのWリーグ勢)は強いよね」で終わったらチームの成長はないということです。

私がこのチームに来て最初に感じたのは、みんなが遠慮しているということ。まだまだ表現が下手なんです。ヘッドコーチもメンバーもチームの体制も新しくなってスタートしたばかりなので、みんながどういうプレイをするのかお互いがわかっていない。私はトップレベルでプレイできなかった時期があるので、若い選手には「Wリーグでやれることは幸せなんだよ」と伝えたいです。自分のプレイを発揮したい、コートで表現したいと思う気持ちを全員が持つことで、チームを強くしていくしかありません。

でも、いかんせん、私もまだ結果を残していないので、「ライヤさんもまだまだじゃん」と言って、下から突き上げるくらいの感情がほしいですね。私もやるしかありません。

——後半戦に向けての課題を聞かせてください。

ケガをせずにプレイすることと、チームを今の位置から少しずつでも上げていくこと。チームは「8年以内の優勝」を掲げているので(※プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスが球団創設9年目で日本一を達成したので、それよりも前の「8年以内に優勝」をチームの目標にしている)、私たちもその気持ちを持って、今から1年1年戦わないと、あとには続いていかないと思っています。

自分のパフォーマンスはまだまだなので、シュートを打つことと、1対1で攻めることを続けて、一戦一戦、目の前の相手に向かっていきたいです。チームも自分も、底上げできるシーズンにしたいです。


質問コーナー(ホームページに寄せられた質問にお答えします!)


●コートネーム「ライヤ」の理由を教えてください。

高校時代に星澤先生が考えてくださったんですけど、「森本レオ」から「ジャングル大帝のレオ」になり、でも女の子なのでレオではなく、レオの恋人の「ライヤ」となりました。シャンソンでは「キングになる」という意味で、ジャングル大帝の「レオ」でした。その後は名前の「ユキ」になったんですが、羽田にユキというコートネームの選手がいるので(杉中悠香利選手)、星澤先生が「ライヤと呼びたい」と言ってくださって、ライヤになりました(笑)。ライヤ、レオ、ユキときて、ライヤに戻りました。よろしくお願いします(笑)

●シーズン中の一日の生活スケジュールを教えてください。

朝の8時から12時までが仕事。15時くらいに体育館に行って、補強トレーニングをして、16時から18時半くらいまでチーム練習。それからチームで食べに行く食堂で夕飯を食べて、そのあとにケアをします。仕事は事務職をしています。

●休みの日はどう過ごしていますか? 何をしているときが幸せですか?

休みの日は家の近くにある多摩川に走りに行きます(笑)。すっごい遅いペースなんですけど、多摩川から川崎に入って、また大田区に戻ってきて、だいだい10㎞くらいを1時間半かからないくらいのペースで走っています。何も考えないで走るのが好きなんですよ。休みの日も何か身体を動かしていますね。トレーニングというよりは、乳酸を出すという意味でスローペースで走っています。練習が終わったあとの楽しみは長風呂。入浴剤に凝って、ゆっくり浸かるのが好きですね。

●シャンソンを辞めたあとアメリカに留学した理由を教えてください。

シャンソンの3年目には結構試合に使ってもらったんですが、4、5年目になってプレイタイムが減った中で、もともとアメリカに興味があったので、貯めたお金で留学しようと考えていました。試合に出られずにフラストレーションを溜めているのであれば、まったく違う文化に飛び込んで、自分を試したいという思いがありました。語学留学をしたのち、短大でプレイをしました。いい経験かできたと思っています。

●高校時代と現在では、星澤先生の指導は違いますか?

バスケの考え方や、求めていること、細かく徹底して教えてくれることは高校時代と同じです。ただ、今の星澤先生は高校時代と比べて怒らなくなった…というか、だいぶ優しくなりましたよ(笑)。今、考えれば、高校生のときは私生活とか、行動の面で、怒られてもしかたないことをしていましたね。今は怒られなくなったというのは、大人になった証拠なのかな、と思います。


インタビュー&構成/小永吉陽子