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2008年4月2日(水)特集

思い切りの良さで勝負!25歳の“異色”ルーキー

名木 洋子選手(富士通 レッドウェーブ)

名木 洋子

今回のゲストは富士通のシックスマン名木洋子選手です。富士通ではルーキーながら、パワフルで思い切りのいいプレイで即戦力に。ファイナルの大舞台では、確率の高いシュートをスパスパと決めて、チームに流れをグッと引き寄せる活躍ぶりを披露。チーム1年目とは思えない頼もしさで、富士通の初優勝に貢献しました。常葉学園高卒業後、Wリーグの日立戸塚に入部するものの、休部に伴いシャンソン化粧品に移籍。2年間Wリーグに所属したのち、桜花学園大へ進学。インカレで準優勝を遂げる原動力となりました。その後、富士通入りした異色選手です。名木選手に初優勝の感想、そして、これまでのバスケットボール歴を振り返ってもらいました。

——リーグ初優勝おめでとうございます。優勝した感想から聞かせてください。

優勝した瞬間は良かったあ……という感じでした。いろんな人が応援してくれたことがうれしくて、試合が終わったあとは応援してくれた人の顔を浮かべてしまいました。昨シーズン、自分は富士通にはいなかったけれど、ファイナルで負けたことを知っているじゃないですか。今シーズンは先輩たちの「絶対勝つ」という気持ちが伝わってきて、自分も去年からチームにいたみたいな感じで……。自分は先輩たちの勝ちたい気持ちについていっただけなんですけど。それで、ついていって、チームのみんなで優勝を味わえて最高です。

——先に王手をかけてから、4戦目で2勝2敗のタイになりました。5戦目に向けてはどのように気持ちの切り替えをしましたか。

4戦目が終わったあとはなかなか気持ちを切り替えられませんでした。試合前日の夜に選手だけのミーティングがあり、先輩たちから「ファイナルの舞台に立てる人って限られているから、そこで自分たちがやってきたことを出せないのはもったいない。明日で最後なんだから、富士通らしくやろう。ファイナルの舞台を楽しんでやろう」と言われました。「そうだな」と思って、その時は泣けてきちゃったんですよ。そこで「よし、やるぞ」と切り替えられたのが良かったと思います。

——6番手としてコートに出て、流れを引き寄せる活躍でした。特に5戦目は思い切りが良くて、迷いがなかった。自分のプレイの評価は?

全体的には良かったと思うんですけど、4戦目は自分が入ってから点が離れてしまって……最悪でした。リーグ戦でも4戦目のように頭が真っ白のまま試合に出て、ミスから試合に入った時がありまして。それでも次の試合で切り替えられていたので、自分では良しとしていたところがあったんです。でも、そういった自分の甘い部分がそのまま試合に出ちゃいました。それがファイナルだと取り返しがつかないので、自分の甘さを実感しましたね。4戦目が終わったあとは、まだあと1試合あったので「まだ取り返せる」と思って5戦目に入りました。

——6番手としてコートに出て行く時に気をつけていることは何ですか?

(しばし考える)これはファイナルでも改めて思ったことなんですけれど、ミスから入らないこと、消極的にならないこと、ディフェンスで簡単にやられないこと。自分が思い切って攻めていけばリズムができるので、積極的にやることです。

——富士通1年目とは思えないほど、チームに馴染んでいるように見えました。 

そうですか!?  思い切りやれたとは自分でも思います。先輩たちからは「空気読まずに攻めるのがパルのいいところなんだから思い切って攻めなよ」と言われていました(笑)。そこはリョウさん(矢野良子選手)が攻めるところだろう、という時にも攻めちゃったりして(笑)

——ところで、Wリーグで2年間プレイしたあと、なぜ大学へ進学したのですか?

日立戸塚のあとにシャンソンに1シーズンいたんですけど、何もできなかったんです。試合に出たいという思いから、もう一度自分のバスケを見直そうと思って大学に行きました。2年間ほとんど試合に出ていなかったので、Wリーグの移籍は無理だと思ってあきらめました。大学の監督さんから「大学で日本一を目指そう」と声をかけられたのも理由です。

——桜花学園大ではエースとして活躍。大学の4年間が名木選手を大きく飛躍させました。

大学で「バスケットってこんなに楽しかったんだ!」と思い出しました。大学で冷静に周りが見られるようになったら、「Wリーグにいた2年間はバスケットのこと何もわからずに、ただ、がむしゃらにやっていただけだったんだな」と気づけました。大学に行って本当に良かったなと思います。

——そして大学卒業後、もう一度Wリーグへ。富士通入社への決め手は何だったのですか?

やっぱり、静岡ということで高校(常葉学園高)の時から中川さん(富士通ヘッドコーチ、当時はシャンソンヘッドコーチ)にお世話になっていたし、自分はシャンソンの時にダメだったのにもう一度富士通に誘っていただいたので、だったら頑張ろうと思いました。それと、富士通の練習を見に行ったら雰囲気がすごく良くて、このチームでやりたいなと思ったんです。

——今後の課題は何ですか?

(しばし考える)波をなくしてコンスタントにやれるようになることです。富士通には自分より上の先輩がいっぱいいるんですけど、自分は25歳。他のチームだったら自分と同い年の子がキャプテンだし、自分よりも気持ちを出してやっているし、いつまでもついていく側ではなくて、自分がもっと引っ張っていく側の人間にならなきゃいけないと思います。そういう意味では今シーズン(同い年の)畑(恵里子)が途中からスタートになったのに、あれだけ大活躍したのは刺激になりました。畑がやっているのだから、自分もやらなきゃいけないです。

質問コーナー(ホームページに寄せられた質問にお答えします!)

●桜花学園大学では何を専攻されていたのですか?

大学のことを聞かれると、ちょっと困るんですけど……。えっと、人文学部観光文化学科です(笑)。観光関係の仕事に就きたい人が勉強する学科で、自分は楽しそうだなと思って入ったんですけど、これを言うと大抵笑われます(笑)。フィールドワークでいろいろな所に行って実習したのが楽しかったですね。卒論は「危機に陥る世界遺産について」です。

●自分の性格をどう思われていますか?

(かなり長い間考える)優柔不断…ですかね。人に聞かれてもすぐにパッと答えられない。チームメイトには「変人」と言われます。「試合見ていたらメッチャ怖そうだけど、会ってみたらこんな変わった人と思わなかった」とも言われます(笑)。自分は変わってないと思ってたんですけど、最近は自分の言動は変わってるんだとわかったら、ちょっと気が楽になりました(笑)。(「どんなところが変わっているの?」の問いに)白米にいろいろな物を混ぜて食べたり、日々の生活で先輩から「それはちょっと辞めたほうがいいよ」と言われる言動が多くあります(笑)

●今までで印象に残っている試合は何ですか?

大学1年の時のインカレの全部。あの時は毎日が楽しかったんですよ。桜花学園大が初のベスト8に入った時で、ベスト4決めで日体大に負けたんです。でも、そのあとの順位決定戦で2つ勝って5位になりました。一試合勝つごとに優勝したようなテンションでしたね。インカレが終わった時に「この代のチームが終わっちゃうのか」と悲しくなったくらい、楽しかったんです。

●寮生活は楽しいですか? 練習後はどんなことをして過ごしていますか?

寮生活は快適です。大学の時は自分でご飯を作って食べていたので、おいしいご飯を作って出してくれる人がいるのがありがたい話ですね。私から下の選手はみんな寮生活をしています。どんなことをして過ごしているかというと、テレビを見たり、お風呂に入ったり…。特に趣味もないので普通に過ごしています(笑)

●コートネーム「パル」の由来は何ですか?

大学に入った時に先輩に決めてもらいました。私たちの代は「宝石シリーズ」で、私はパールのパルです。ほかにルビーはルイ、ダイアモンドはダイとかいましたね。日立戸塚の時は「徹する」とか「鉄人」のテツ。シャンソンの時はニック。オーシャニックのニックで、広大なという意味があるらしいです。高校の時は普通に「洋子」か、後輩には「名木さん」と呼ばれていました。

取材&構成/小永吉陽子